日本の食の歴史 – 旧石器時代飛鳥時代 –

日本の食の振興局、農林水産省のデータによれば、「食べられるのに捨てられている食品」は一年で643万トンにのぼるそうです。日本国民一人当たりにすると51 kg。これほど大量に捨てているなんて身に覚えがない方が多いと思いますが、売れ残りや食べ残し、冷蔵庫の隅でうっかり期限が過ぎてしまったものなど、日本には沢山の「食品ロス」があるとデータは示しています。逆に言えばそれほど食に困らない恵まれた環境なのかもしれませんが、実のところ、日本は古代から環境に恵まれていると言われています。
日本の肉食の歴史について、皆さんはどんなイメージを持っているでしょうか?
実は日本では飛鳥時代から明治時代まで約1,200年間も肉食が禁じられていたことを知っていましたか?
今回は私たちの祖先が農業を始める前の時代から肉食が禁止される飛鳥時代まで、肉食がどんな歴史をたどったのか紹介しようと思います。

日本にも生息していた大型哺乳類たち

二万年前の旧石器時代、日本の環境は非常に豊かであったと考えられています。というのも、日本各地でゾウやトラ、ヘラジカ、バイソンなど大型哺乳類の化石が見つかっているのです。

今でこそ遠い外国にしかいないような動物が日本で普通に存在していたというのは驚きです。それだけの動物たちが暮らせる自然や食べ物が日本にあったということになりますね。
この頃の人間の遺跡からは動物の骨や木の実の化石が見つかっており、多様な食生活を送っていたのだと推察されています。一方で、静岡県の地層からは人骨と一緒にトラの化石が見つかっており、その人骨には肉食動物に噛まれた痕があったそうです。

豊かな環境に恵まれていたとはいえ、食べるか、食べられるかの世界で人々は生きていたのでしょう。やがてこのような時代は氷河期の到来によって終わりを迎え、大型哺乳類は日本から姿を消すことになります。

2万年前には日本にはトラやゾウが暮らしていました

縄文人は栄養バランスが良い食事をしていた?

新石器時代は日本では特に縄文時代と言われ、今から一万年前にあたります。この時代に地球は温暖化し、現在と似た気候だったと推定されています。

四季に富んだ日本で暮らす人々は山の幸や海の幸に恵まれていました。
縄文人のゴミ捨て場と考えられている「貝塚」を調べると、ドングリや魚や鹿、イノシシなどなど色々なものを食べていたことがわかりました。土器を使えるようになったのも縄文時代ですから、火を使って旬の食材を料理して食べていたのでしょう。

山の幸と海の幸を組み合わせた食事は日本食の原型とも言われており、一説によれば縄文人の食事は塩分控えめ、食材も多様で、なんと現代人よりも健康的な栄養バランスだったとすら言われています。私たちも縄文人から学ばなければいけません笑

縄文人は栄養バランスが良い食事をしていた

農業の始まり

二千数百年前の弥生時代、この時代の日本で食の革命が起きます。朝鮮半島からの渡来人によって水稲栽培が伝わり、急速に日本全国に広まったのです。日本人の主食、コメの始まりです!

さらに畑作も相当盛んだったようで、中国の文献には「日本人は夏も冬も野菜を食べている」と書かれているとか。
こうして自分達が食べるものを自分達で作って食べることができるようになりましたが、一方で狩猟や漁も行っていたこと「銅鐸」に描かれています。牛や馬、犬などの家畜も飼われていましたが、食用にされたような痕跡は無く、犬に至ってはペットだったのではと考えられています。遺跡の調査によれば、イノシシや鹿、鳥類といった野生動物のお肉を食べていたようです。農作業や運搬など、食べる以上の価値を家畜に見いだしていたのかもしれませんね。

銅鐸に描かれる当時の生活

明治まで続く肉食禁止令の始まり

それから千年ほど経った飛鳥時代、食肉の歴史上最大の事件が起こります。それが、676年に天武天皇が打ち出した『肉食禁止令』です。以後、明治初期まで約1,200年間この肉食禁止令は続くことになります。一つの法律がそれほど長い間続くことがまず驚きですが、そもそもなぜこのような禁止令が出てきたのでしょうか。そこには渡来人の影響が色濃くあるようです。

朝鮮や中国からの渡来人によって弥生時代は幕を開けましたが、その後も渡来人は来訪し続けました。渡来人は大陸の進んだ知恵をもっており、彼らの知恵と技術を得た国や豪族は勢力を増すことができたため日本人も当時歓迎していたようです。

そして、「仏教」が渡来人によって持ち込まれます。仏教は人々に真面目に働くことを教え、同時に殺生すなわち肉食を避けることとしています。これに注目したのが日本初の統一国家、大和朝廷です。大和朝廷が「仏教」の価値を見いだし国の柱としたことで、明治に至るまで肉食が禁止されることになるのでした。

明治まで続く肉食禁止令の始まり

わざわざ肉食を禁じるほど仏教を大切にする理由があったのか、という点に関しては色々な話がありますが、

「国を渡来人から守ること」

そして、

「農業を発展させること」

という政治的な目的があったという説があります。
そもそも、当時の日本人にとって家畜は田畑を耕したり、物を運んだりする役用が主で、食用ではなかったというのが通説です。むしろ、家畜を食べていたのは一部の渡来人でした。
いつの時代も進んだ技術を取り入れた者が力を伸ばすもの。大陸の知恵を持つ渡来人はやがて日本で勢力を持つようになりますが、大和朝廷はこれを危険視していました。そこで「仏教」を取り入れ肉食を禁止することで、そういった渡来人だけを上手く牽制していたというのです。

さらに、当時の日本の国力や自然環境を考慮すると稲作が最も適しており、当時の権力者は家畜を働かせることで稲作を発展させたかったと考えられています。ですので、労働力としての家畜を食べられないように禁止したとも…。
古代では時に「肉食」が政治利用され、人々の食の確保のために禁止令が出されるほど注目された行為だったのです。

野生動物の鹿や猪は禁止されていなかった

まとめ

今回は古代日本の歴史を「食肉」を手がかりにたどってみました。すると古代の生活や、政治までもが見えてくるのです。途中、肉食禁止令のお話が出ましたが、実は面白いことに「イノシシ」や「鹿」を食べることは禁止されていません。古代日本人の食肉の中心は、肉食禁止令以前から野生動物の肉でした。天武天皇の出した肉食禁止令に「イノシシ」や「鹿」が含まれていないのは本当に仏教の教えを守るためだったのでしょうか?それとも、何か思惑があったのでしょうか?
ここには歴史のロマンを感じてしまいますね笑

 


 

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